今広告に出来る最も素晴らしいこと。
それは人々の行動をガラッと変えることでなく、日々の生活や行動の
「質」をあげ、生活に深みを与えてくれることでは無いだろうか。
例えば、「ナイキ+」など。
(http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/02/19/run2/index.html)
「ナイキ+」は別に人々にゼロからランニングを始めようと
呼びかけたわけではない。
これまで不可能だった個々人のランニングデータを瞬時に可視化し
コミュニティをつくることで
”走る”という概念そのものを変えた。
「タップ・プロジェクト」
(http://www.nileport.com/products/details/1301/1.html)
だって、別にレストランに行く
必要性をゼロから説いたわけではない。
家で食事を作らずに、外食をすることで感じる、ちょっとした罪悪感や
贅沢さを、「でも、いいことをした」という社会的善に変換した。
やはり、今後のクリエイティブ発想は、人々の日々の生活や行動に根ざしたもので
あるべきだ。広告には常に、人に何かしてほしいという、「お願い」の
要素が盛り込まれている。
知ってほしい、手に取ってほしい、買ってほしい。という具合に。
だからこそ、彼らが人間として日々繰り返す行動に寄り添う必要があるのだ。
なぜなら彼らにとって関係のない商業活動の産物なんて、公害でしかないのだから。
上記のような広告に僕たちは可能性を見いだしている。
しかし、難しいのはひとつの事例が
成功したからといって、常にこれと同じ手法で
成功するとは限らないことだ。
なぜなら世の中の加速度的な変化に伴い、
”つかみどころ”がどんどん変わっていくからだ。
例えばツイッターは4年前までは存在しなかったし、
それが、今ではこれを無視してコミュニケーションを考える
ことはできないと言っても過言ではない。
この業界に身を置く我々は、こういった時代に
どう向き合えばいいのだろう。
基本的なことだが、やはり生活者の
インサイトを見つける事がすごく重要だと思う。
生活者の情報やライフスタイルを的確に把握した上で、どうすれば人々の
「生活のためになる」ものを生み出せるか。
その発想が基本にないと、膨大な情報が溢れる今の社会において
広告は社会のゴミと見なされかねない。
だから今後は”告げる広告や””繋げる広告”の先を行く
”使える広告”あるいは”道具としての広告”の重要性が
増していくというふうにも思う。
そういった広告を示す概念として
Advertisingと Utilityの言葉を掛け合わせて
「Advertility」という言葉を用いることもある。
一生活者という視点で考え直すと、発想が変わってくるはずだ。
自分は何をしたいのか?誰と(どのブランドと)一緒に過ごしたいのか?
どうすれば自分の生活が楽しくなるのか?豊かになるのか?と考えてみるべきだ。
突然、自分の生活と全く違う事はしないし、どんなブランドにも自分がしている
ことを変えなさいとか、次はこんな事をしてみなさいという権利はないはずだ。
こういう不安定な時代だからこそ、生活者の指向性や行動を
受け入れることだ。人生や生活を良くする手助けは
ブランドがその生活者の存在をみとめ、肯定する事から始まる。
そして、ヒントは「毎日」の中にある。
「毎日」とは決して退屈なものではない。
普通、「日常」という言葉は、凡庸で退屈なものとして
扱われるが、日々の中にこそクリエイティブの種はあって
、インスピレーションをくれる。
感情を揺さぶるような出来事でもそこここに溢れているはずだ。
それらを追求してクリエイティブの泉を掘り起こすべきである。
なぜなら日々の生活には嘘はないからである。
広告に関わる全ての人は誰もが「thinker(考える人)」である。
制作者、運用者としてもはや広告を作ることだけを
自分のスタート地点と考えないほうがいいように思う。
それだと80年代や90年代にどっぷりと浸かったままだ。
当然過去を否定するつもりはない。
素晴らしい広告がたくさん生まれた時代である。
でももう僕らは 90年代に生きているわけではない。
昔は、生活者が選択や決定をできる立場になかったが、
現在は違う。彼らこそが選択権を持っているのだ。
そういった中で、今の理想の広告業界で生き残るための
秘訣は何か。一言でいうなら、それは「寛容さ」だと思う。
ディレクションするときや仲間とディスカッションする時、
相手を育て発想を分かち合おうとする寛容さを持っている人。
自分の才能に自信があるからこそ、相手に与え、周りの人たちが
更に高いレベルで考えられるようにもっていくことが
できる人間だ。
逆に広告主に求めることと言えば、それは誠実さと信頼だと思う。
どんなにタフでもハードネゴシエイターでも構わない。
でもストレートにずばずば言うのでも構わない。
ただ広告会社を信頼してほしい。
確かに広告会社を信じろということほど、心落ち着かないことは
無いかもしれない(笑)
でも信頼が無いと広告会社は理論武装に無駄なエネルギーを費やすことになる。
アリバイや弁明づくりの必要を取り去れば、広告会社がやるべきことは
たったひとつ。
「共感を作り出すための力強いメッセージを世間に伝えること」
その伝え方にも色々あるが、ネット広告業界にいれば
ツイッターだとまず思いつく人は多いだろう。
そのツイッターを使えば、何百人、何千人の人たちに
今 自分が考えていることや、気持ちを発信することができるが、
人類はそういった道具を初めて手にしたのだ。
そしてそれらのコミュニケーションツールや
多様なインターネットサービスは、僕らの生活に 欠く事の
できないものになっている。
それを示す例としてアメリカでは 「google」という言葉はいま、
企業名やサービスを指す名詞と同時に「検索する」という
意味の動詞として使われるまでになっている。
これをみてもデジタルは空気のように社会にと け込んでいる
ことがわかる。
また今ではFacebook利用時間が
「Youtube+Google+Yahoo+Bing+Amazon+Wikipedia」の
利用時間を抜き、ニュースサイトへの流入元はGoogleより
Facebookの方が多いという状態になっ ている。
この変革の時代に、この業界で仕事ができるのは素晴らしい事だと思いませんか?
僕は、広告が大好きだ。
広告がただ枠を埋める為のものじゃないことを伝えたい。
広告は「明確な目的をもった思考」だ。
そして更に可能性をひろげ、枝分かれしていくような発想なのだ。
それはブランドにとっても、生活者にとっても、ポジティブな
結果作りに貢献するものでなくてはいけない。
下記、レイ・イナモト氏(http://www.akqa.com/)と
デビッド・ドロガ氏(http://www.droga5.com/)のお話を
まとめました。